トラブルメーカー幼稚園児、おとうふちゃん
みなさん、小さい頃の記憶ってどのくらいの時期からありますか??
わたくし、おとうふちゃんの記憶は
おそらく幼稚園時代から・・・
なぜなら、幼稚園の先生に強烈に憧れていたから!
幼稚園、小学校・・・となぜか担任の先生に憧れ続け
大人になって念願の幼稚園教諭になるわけですが
社会不適合者なのですぐに辞めております・・・笑
そんなおとうふちゃんの幼少期から振り返っていきたいと思います。
関東地方で1994年爆誕
※爆誕3ヶ月目のおとうふちゃん
夏の暑いお盆の深夜真っただ中
おとうふちゃんは母の実家の近くの産院で生まれます。
この頃はまだ純粋無垢で母、ばあば、じいじ、父(?)に
可愛がられて育ってきました。
生まれてから数か月は母の実家で
その後は関東の家で母、父との3人暮らし。
3年後に弟が生まれ4人家族となります。
弟が生まれ、おとうふちゃん4歳になるころ
年中から2年保育で幼稚園に通い始めます。
そこで徐々に集団生活に適応できないおとうふちゃんが
見え隠れし始めます・・・
あほーでぃおん?
年長のころ、音楽会がありました。
多くの子がハーモニカやタンバリンを担当するなか
(おとうふちゃんはハーモニカでした)
アコーディオンを担当する友だちがいました。
ある日の通園バスの待ち時間
その友だちに「あほーでぃおん」と言って
怒らせてしまいました。
幼稚園児のおとうふちゃんは
「あこ」と「あほ」が似ていて面白いから
笑わせたい!みたいな気持ちで言ったんでしょう・・
全く、あほはわたしだ←
周りの子も「どうしてあほなんていうの?」と大ブーイング
そのころから周りと感覚がずれていたんでしょうね。
友だちなんていらない、ひとりでいい
この頃からなかなかトラブルメーカーな発言をしていますね。
これは些細なことを強い口調で言ったことで
友だちを怒らせてしまい、先生に仲介に入ってもらった結果
すねてこのような発言をしています。
幼稚園なので毎日細かな連絡帳はなく
なにかあったときに担任の先生から母宛にメモ帳でお手紙が来ます。
強い口調で物事を言って、相手を怒らせてしまい
素直に謝ることもできず・・・
トラブルが起こるたびに先生が長文でお手紙を書いてくれていました。
わたしも社会人になり幼稚園教諭を経験しましたが
あんな忙しい中、長文の手紙を書いてくれた先生には頭が上がりません。
内に秘めたるもの
※おとうふちゃん幼稚園時代
トラブルメーカーのおとうふちゃんですが
先生はしっかり内面を見てくださっていました。
「面白いことを言って周りの子を笑わせている姿もみられます」
「気に入る遊びがない時は、私(先生)のところにきておしゃべりを楽しんでいます(家族の話が多いです)」
「子どもなりに大人に心配かけまいと気持ちを抑えているところがあるようです」
などなど
実際、おとうふちゃん家では
父親の顔色を伺う母の顔色を伺うおとうふちゃんになっておりました。
幼少期って家族関係が集団生活での人間関係に大いに影響してきます。
しかしこんなに細やかに丁寧にフォローしてくれるのは幼稚園まで。
小学校からはまたトラブルメーカー本領発揮していきます。
次回、小学校編!
ではでは、おとうふちゃんでした☆彡